「金正日将軍様、マンセー(万歳)」。脱北して43年ぶりに一昨年帰国した平島筆子さん(66)は、北京にある北朝鮮大使館での18日の記者会見でそう涙声で叫び、北朝鮮に向かった。最近の様子や暮らしぶりなどを追うと、平島さんの家族との再会への強い気持ちが浮かび上がるとともに、北朝鮮側の意図も見え隠れする。塗炭の苦しみを味わった「かの地」になぜ再び戻ったのかを探った。【西脇真一、北京・西岡省二】

 ◇直前の様子◇

 平島さんは、帰国以来、支援を受けてきた平沢勝栄衆院議員の東京都葛飾区内の事務所を今月4日に訪ね、中国行きの航空券の購入を秘書に依頼した。「長男の嫁が(北朝鮮から)出てくる」と明かし、秘書は7日の出発で14日帰国予定の瀋陽往復券を購入した。

 約5万円の代金は、「戻ったら2万5000円ずつ払うから貸してほしい」と言い、中国行きは「誰にも言わないで」と口止めしたという。平島さんは7日に1人で出国したが、前日にアパートの家賃5万円を支払った。

 平沢氏は「北朝鮮に行くなら家賃は払わないはずだ。帰ってくるつもりだったと思う」と指摘。また、日本国内での連れ出し工作の有無についても「手引きがあるなら、飛行機代は出してもらえるはずだ」と否定する。

 ◇家族への思い◇

 平島さんは、北朝鮮に残した子供2人(長男と長女)と孫を気にかけてきた。03年6月ごろ長男から届いた手紙には「お母さんは日本でおとなしく暮らしてほしい。僕らのことは心配しないで」などと書いてあった。

 子供たちはいずれも北朝鮮生まれで日本での暮らしを望まなかった。それでも、再会の思いは募る。平島さんは同11月に中国に入り、中朝国境の豆満江越しに長男と携帯電話で話をしている。

 長男の死を伝える手紙が昨年5月上旬に届く。以来、精神的に落ち込むことが多くなった。拉致被害者の蓮池薫さんらの子供が同22日に帰国する様子をテレビで見て、「うちの孫もこのぐらい(の年齢)なの」と寂しそうに話していたという。

 ◇暮らしぶり◇

 約13万円の生活保護のうち、家賃を除く8万円が生活費。北朝鮮の子供たちに生活物資や現金を送るなどし、生活は楽ではなかった。自宅に残された通帳の残高は2500円余り。

 ただ、脱北者同士の集まりにも顔を見せたほか、国内に住む妹との付き合いもあり、1人暮らしだが、孤立した様子は浮かんでこない。同じ年ごろの隣の夫婦とも近所づきあいがあり、出国前夜の6日には、てんぷらの差し入れを受けていた。

 ◇北朝鮮の狙い◇

 「北朝鮮側のパーフェクトゲーム」と指摘するのは、北朝鮮難民救援基金の加藤博事務局長だ。加藤さんは「家族愛などを逆手にとって工作を図るのは北朝鮮の常套(じょうとう)手段。拉致問題がこう着状態にある中で、平島さんを例に日本も拉致したと宣伝するはずだ」と話す。瀋陽在住の脱北ブローカーは「平島さんの家族は北朝鮮で厳しい監視下に置かれており、当局の目を逃れて中国に出るのは困難。再会したなら当局者が同行し、説得工作したはずだ」とみる。

 ただ、アパートには長男らからの手紙が見あたらないことや、出国前に友人に「電子レンジを持って行って」と持ちかけてもおり、北朝鮮行きは本人の意思との見方もある。公安当局者は「平島さんと接触した警察など日本の当局者や支援者、脱北者らの情報が筒抜けになるのが心配だ」と話す。

   ◇平島さんの記者会見要旨◇

 平島さんが北朝鮮に戻るに当たって行った記者会見の要旨は次の通り。

 日本にいる間、一日も共和国(北朝鮮)のことを忘れたことはない。衣食が満たされ、楽に生活できてもそれが幸福のすべてでない。妹にも会い、昔の友人にも会った。しかし、子供や孫に会いたいとの気持ちが日ごと強まり、涙を流しながら暮らしてきた。

 手紙と電話を通じ、孫たちが夢にも思わなかった大学に通っていることを知った。悪い人にだまされて日本に行ったが、何の支障もなく子供たちが暮らしていることを知り、将軍様の仁徳政治を改めて考えさせられた。

 43年間暮らした共和国が私の故郷。共和国公民として、自分の家があり、子供たちがいる共和国に帰ろうと思う。

  ■平島筆子さんが北朝鮮に戻るまでの経緯■

1959年12月14日 帰還事業で在日朝鮮人の夫と北朝鮮へ

 69年12月   夫が当局に連行され、以降消息不明に

 70年5月   自宅が中朝国境の村に移される

2002年11月   脱出して中国に

 03年1月29日 日本に43年ぶりの帰国

   7月22日 実名で記者会見し、北朝鮮に残る子供

        らの安全確保や他の日本人妻の帰国な

        どを訴える

   11月   支援者と帰国後初めて中国へ

 04年5月上旬 長男死去の連絡が届く

 05年4月4日 中国行きの航空券購入を依頼

     6日 アパートの家賃支払い

     7日 14日帰国の航空券を持ち瀋陽に出発

     18日 北京で会見し、翌日北朝鮮へ

毎日新聞 2005年4月25日 3時00分

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